こんにちは、ショーです。
今日は、また私らしからぬ
物珍しいタイトルで
お伝えしたいと思います。
カメラ、カメラ、カメラ、
皆さんにとって
どのような存在でしょうか?
スマホについている気軽なもの
本格的にやるには遠いもの
一度は本格的にやりたいもの
別にどうでもいいもの。
いろいろな意見があります。
私の独自調査によると、
以下の通りとなってます。
なくてもいい物だという意見は
非常に少なく、
逆に、
必要な物だと認識しつつも
遠い存在に感じる。
そのような位置づけなようです。
私の方で一つ断言できることは、
カメラに対する意識は、
ある瞬間に、確実に変わります。
特に家族ができた時や
人生の転機を受けた人
誰かと出会ったときや
別れた時も、
変わります。
冷静になって考えてみた時に、
カメラって、人生において
そんなに重要じゃない、
と思われがちですよね。
なくても
いいものですから。
でも、もう一度その常識を疑ってみて
ください。
本当ですか?
確かにカメラはなくても
生きていけます。
でも、シンプルに、
人間が生きた記録がなかったら、
「よりよく生きる」ということが
できないと思いませんか?
そう、私が大事だと思っていることは
そこです。
カメラは、
「人がよりよく生きるために
必要なもの」です。
そこについて
もう少し掘り下げてみましょう。
カメラは「人生をよりよく生きるためのツール」
先日、私の妻が亡くなった時に、
妻の身の回り品の
整理をしておりました。
その中で、
妻のスマホの中をみた時には、
どうしても涙を堪えることが
できなかったのですが、
落ち着いて考えた時に知ったことは、
これが「妻の見えている世界だった」
ということです。
妻のスマホの中は、
娘と私の写真でいっぱいでした。
妻が見ている世界、
妻の心の中を
垣間見れた瞬間でした。
カメラは心の世界を見るツール
私たちが、世界を知る方法の
一番強い情報源は
「目」です。
カメラは、その「目」に変わるものです。
そして、もっと重要なのは、
同じようにその世界を撮ったのが
ロボットではなくて、
「人」であると言うことです。
ロボットが撮った写真に、
何も魅力は
感じないはずです。
ロボットには
心がないから。
妻のスマホの中に見つけた世界は
妻の心が通っていて、
生きた証にもなってます。
それは、妻の遺志がつまっており、
次の世代に残すべきものにも
なります。
そのようなものが残らない世界って、
どうでしょうか?
カメラが無かった時代でさえ、
人はなんらかの生きた証を残そうと
必死になってきましたよね。
それによって人類が進歩してきた、
とも言えますよね。
写真は、
記録を残すための重要な手段です。
確かに、一つの手段でしかないとも
言えます。
しかし、
有効なものになるのは間違いありません。
「写真を撮ることは、
生きた証になる」
先に述べたように、
それは重要なことでは
ないでしょうか。
そう考えると、必ずしも
いい写真である必要性は
ありませんね。
とにかく撮ればいいだけ
それだけです。
シャッターを押す手も
もっと軽くなるのではないでしょうか?
カメラは人間活動に必要なもの
今回は、
結論は最後になってしまいましたが
最終的に伝えたかったことは、
これです。
「カメラは、あなたの生きた証を
示すもの」
そこから派生して、
誰かが生きた証を示し、
その人の心の中を示し、
人の歴史を刻んで、
人のあるべき姿を形に示して
歴史の過ちを正すものにも
なり得ます。
そして、個人においては、
カメラは、間違いなく生きた証を残す
一つの有効な手段です。
ちょっと大袈裟に聞こえるかも
しれませんが、
少しずつ自分の心に刻んでいって
ください。
そして、その確証を深めるためにも
カメラを撮ることを積極的に行って
ください。
皆さんのカメラライフが
より充実したものに
なりますように。